会社沿革
初代福嶋与右衛門は江戸愛宕山下で刀剣、馬具類を作っていたのが始まりと言われている。後に川崎宿六郷河畔(のちの川崎町堀の内16番地となり、また川崎市旭町1丁目27番地に地名変更)に移転し、舟クギ、カスガイ等の製造をはじめた。
これより大正の初頭まで第2代亀太郎(与右衛門の長男)、第3代安五郎(亀太郎の女婿)が業を継いで漸次製品の範囲を拡大した。
大正03年 | 味の素株式会社川崎工場が操業。当初から同社の機械設備の修理ならびに部品の製造を受注。 |
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大正12年10月 | 福嶋鉄工所と改称。 |
昭和10年06月 | 工場拡張のため、港町37番地に移転。 |
昭和12年02月 | 福嶋安五郎他界、治郎吉これを継ぐ。 |
昭和12年08月 | 組織を株式会社に改め福嶋治郎吉が取締役社長に、三郎、竹松、正夫、中村正助の兄弟も取締役に就任し、同族のみで経営に当る。資本金18万円。 |
昭和20年04月 | 戦災で社屋工場焼失。終戦後ただちに復旧につとめ、味の素株式会社のほか、明治製菓株式会社、麒麟麦酒株式会社、富士フィルム株式会社等からも受注、その設備、機械を製作する。 |
昭和22年07月 | 水道用溶接鋼管の製造を開始。以後東京都、川崎市、横浜市各水道局および神奈川県広域水道企業団より受注。 |
昭和26年07月 | 高松宮御殿下、当社に台臨。 |
昭和28年06月 | 第1種圧力容器の製造許可を得る(労働局)。 |
昭和32年06月 | 蒸気ボイラー30kg/cm2、温水ボイラー50kg/cm2、第1種圧力容器100kg/cm2までの溶接による製造許可を得る。 |
昭和36年06月 | 佐賀県諸富町に当社佐賀出張所を開設。 |
7月 | 三重県四日市市小古曽に当社四日市工場を開設。 |
昭和39年08月 | 四日市工場第1種圧力容器の製造許可を得る(三重労働基準局)。 |
昭和42年11月 | 創業100年記念式典を行なう。 |
昭和43年02月 | フィリピンケミカルカンパニーに大型反応槽を製作・据付ける。 |
昭和46年11月 | 経営管理、生産技術向上、作業環境・福利厚生施設の改善整備優秀で神奈川県知事より表彰される。 |
昭和47年02月 | 南足柄市中沼町に当社足柄出張所を開設。(平成17年閉鎖) |
昭和48年03月 | 労働管理優良事業所として神奈川県知事より表彰される。 |
8月 | 資本金を4,500万円に増額。 |
9月 | 東電福島原子力発電所大型貯槽製作・据付完了す。 |
昭和49年10月 | 通商産業省より電気事業法第46条第2項第1号の規定に基づき溶接認可を受く。 |
昭和52年10月 | 創業110年記念式典を行なう。 |
昭和54年10月 | 自動Tig溶接装置を購入し、大型貯槽の受注に備える。 |
昭和56年05月 | 四日市工場設立20年記念祝賀会を行なう。 |
昭和57年05月 | 当社従業員、製缶一筋50年勲七等青色桐葉章を拝受す。 |
昭和62年11月 | 創業120年記念祝賀式を行なう。 |
昭和63年11月 | 茨城県鹿島郡神栖町に鹿島営業所を開設。 |
平成元年10月 | 労働組合結成20周年祝賀会を行なう。 |
11月 | 当社従業員、全日本ボイラー溶接士コンクール中板の部2位を受賞す。 |
平成3年 | 四日市工場拡張、7,541m2とす。 |
平成6年 | 四日市工場増築を行い、2,700m2に拡張建設す。 |
平成7年 | 味の素タイ工場殿より大型醗酵槽受注、現地施工会社(ロハパン社)と協力し、製作に着手す。 |
平成8年 | 神奈川県労働基準局より職場の安全に寄与し、進歩賞を受ける。 |
平成09年08月 | 佐賀事業所に製缶工場を建設す。 |
平成11年08月 | 本社事務所移設(道路拡幅に伴い) |
平成15年12月 | 工場再構築に伴い、同地に新工場及び第2事務棟を建設する。 |
平成19年11月 | 創業140年記念祝賀会を行なう。 |
平成23年08月 | 四日市工場、東海事業所、佐賀事業所開設50周年記念式典を行う。 |
平成25年09月 | 鹿島事業所開設25周年記念式典を行なう。 |
味の素㈱創設者 鈴木三郎助様より弊社への思いを込めた直筆の書 「終始一貫」